徒然ゆるらかレポート

学生。疑問に思ったこと・興味のあることをレポートします。

検閲とは

こんにちは。ふさねこです。


「表現の不自由展・その後」が中止になり、問題になっていましたね。

愛知県知事は、名古屋市長が知事に対して当該企画展を中止するよう求めたことが検閲に当たるのではないかと批判しているようです。



日本国憲法では、表現の自由を保障し、表現の事前抑制の一つである検閲を禁止しています。


憲法21条1項
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2項
検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。


検閲が禁止されていることは、当たり前のように思えますね。
権力者が、自分にとって都合の悪い出版物を発禁にしたことなどがすぐに思い出されると思います。





では、検閲とは何でしょうか?


これは、判決で示されているのです。
「税関検査事件」というものがあります。まず税関がどのような機関なのか見ておきましょう。


【税関】
開港および税関空港で輸出入貨物の手続審査、関税・噸(トン)税の賦課徴収、船舶・航空機・輸出入貨物の違法取締り、保税地域の許可などの事務をつかさどる官庁。財務省の地方支分部局の一つ。
(広辞苑より引用)



この事件では、以下の法律に基づいて行われた税関検査による輸入禁止が検閲に該当するかが争われました。

関税定率法21条1項3号(現関税法69条の11第1項7号)
公安又は風俗を害すべき書籍、図画、彫刻物その他の物品(次号に掲げる貨物に該当するものを除く。)



検閲の定義は最高裁判決で示されています。


「行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止すること」



最高裁は検閲をこう定義し、検閲を絶対的禁止としました。
つまり、検閲の主体・対象・範囲・目的・時期・例外の無いことを示しました。


この事件で最高裁は、表現物が国外で発表済みであったこと(「発表前」不充足)や、税関検査は関税徴収の一環として行われるもの(「思想内容などの発表の禁止を目的とした網羅的一般的審査」不充足)であることから、税関検査は検閲に当たらないとしました。




ここで、今回の事案について考えたいと思います。

今回の展示の中止は、テロ予告などを理由に中止しているため、検閲にはあ当たりません。
これは、問題ないと思います。



では、名古屋市長が展示の中止を求めたことは検閲にあたるのでしょうか?

これは、展示物次第になると思います。
展示物が国内外問わず、既に発表されている場合、おそらく検閲にあたりません。

なぜなら、検閲に該当するのは、表現物が「発表前」の場合に限られるからです。

国内であれ、国外であれ既に発表されていれば、日本国内で人目に触れることがなくても「発表前」には当たらないのです。





しかし、表現の自由の規制には、慎重でなければなりません。これは確かです。

表現の自由を規制すると、萎縮効果が生じるからです。
将来的に規制されてしまうと考えると、表現することを辞めてしまう人も多いでしょう。


加えて、表現の自由は、人権の中でもより重要な人権とされています。

なぜなら、人は表現活動を通して人格を発展させ(自己実現の価値)、さらに国民は、表現活動を通して政治的な意思決定に関与する(自己統治の価値)からです。


つまり、表現の自由は、国民一人一人の人格形成だけでなく民主制を支える役割も担っているのです。


表現の自由は、権力者によって制限された過去があります。これは日本に限ったことではなく、世界中で行われたことです。つまり、表現の自由は、重要な人権でありながら、直接的にも間接的にも制限されやすいと言うことができるでしょう。それでも規制が妥当となる場面は存在するため、その規制が萎縮効果を生じさせることがないよう規制の妥当性は厳格に審査しなければならないのです。




最後に、スティーブン・スピルバーグの名言を引用したいと思います。

There is a fine line between censorship and good taste and moral responsibility.
映画検閲と良識と倫理的責任との間には微妙な違いしかない。



最後までお読みいただき、ありがとうございます。